お久しぶりです。
お久しぶりです。
教員採用試験一次試験が終わったので、戻ってきました。
出来栄えはなんとも言えない…
もし…なんてこと考えたくないので、今は二次試験に向けて面接練習頑張ります!!
明日は久しぶりの部活、みんなはきついっていってたけど、めちゃめちゃ楽しみ。
雨降らなければいいなぁ…
最近は、起きて勉強寝るの繰り返しだったので、不安もありますが頑張ります。
ということで、観葉植物コーナーがアップグレード
なかなか増えてきています。
この調子で枯らさないように慎重に…
おやすみなさい💤
最近の趣味
僕は最近観葉植物にハマってる。
小さな成長が毎日楽しい。
最初は、家のインテリアとして観葉植物を選び始めた。
めんどくさがりの僕は、いつものように母がお世話するようになるんだろうと心のどこかで思っていた。
しかし、観葉植物は違った。
小さな成長がとても愛らしい。
毎日葉水を与えて、時には土に水をあげる。小さな葉が芽吹いた時には、その日は一日中幸せになる。
最近は植物にも詳しくなった。
外の方がいいもの、中で育てるもの。
多肉植物であったり、寒さに弱かったり、インテリアとして買い始めた植物たちには、ちゃんと命があることを実感している。
次に狙ってるのは、エアープランツだ。
家の緑に花を咲かせたい!
心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
今日の歌
心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花
現代語訳
もし手折(たお)るならば、あてずっぽうに折ってみようか。真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、白菊の花と。
意味
【心あてに】
「あて推量に」「あてずっぽうに」などの意味。
【折らばや折らむ】
「折らば」は四段活用動詞「折る」の未然形に接続助詞「ば」がついたもので仮定条件。
「や」は疑問の係助詞。
「む」は意志の助動詞で上の「や」と係り結び。
「もしも折るというなら折ってみようか」という意味。
【初霜】
その年はじめて降りる霜のこと。
【置きまどはせる】
「置く」は、「(霜が)降りる」という意味。
「まどはす」は、「まぎらわしくする」という意味。
白菊の上に白い霜が降りて、白菊と見分けにくくなっている、という意味。
【白菊の花】
上の句の「折らばや」に続く、倒置法。
鑑賞
これは、真冬の歌。
霜が降りて、どの花が白菊なのかもわからない。いっそのことあてずっぽうに追ってみようかと言う、冬の柔らかな情景が浮かぶ。
白菊の花が倒置法になっているため、自然と白菊の花に目がいくようになる表現技法だ。
【My hair is bad】失恋中のあなたへ
My hair is badを知っているだろうか。
僕の好きなバンドの一つだ。
彼らの歌に
「また来年になっても」
と言うものがある。
「世紀の大失恋、その一方ラブホは満パンだった」
私はこのフレーズがとても好きだ。
誰かにとっての悲しい今日も、誰かにとっては嬉しい今日。
きっと明日は良くないかもしれないし、いいかもしれない。
どうでも良くない1日がどうでも良く思う人もいる。
私たちは、同じ「時間軸」の中で生きているが、同じ「ストーリー」を生きていない。
大好きだった彼女、彼氏に振られた。
そんな日は、言うまでもなく最悪だ。
しかし、誰かはラブホテルで過ごしているし、
ろくでもない1日を過ごしてる。
そう考えれば、大抵の不幸はどうだって良くなる。
人間誰しも自己嫌悪に陥ることがあるだろう。しかし、地球規模で考えれば、そんなことちっぽけな悩みでしかない。
今流れ落ちる涙の瞬間も、どっかの誰かはよだれを垂らしてる。そんなものなのだ。
だから心配しないで欲しい。
君が失恋をした時、僕はラブホテルにいることを。
君に優しく声をかけることはできないが、誰かに優しくできていることを。
そう考えるだけで、君の失恋が少しだけ軽く思えてこないだろうか?
【父の日】お父さんへの贈り物
今週のお題「お父さん」
僕はまだ学生だ。
母の日にはアルバイトで貯めたお金を使い、お母さんにプレゼントを買う。
4年間そうしてきた。
父の日はプレゼントをあげない。
お父さんには就職してから渡そうと思う。
これが父への最低限の敬意だ。
私の家はおおかたお父さんの所得で成り立っている。だからこそ、バイトで稼いだお金ではなく、仕事で稼いだお金でプレゼントを送ることが大事だと思う。
だから今年も何もしない…
何を食べるかじゃない誰と食べるかだ!
「今日ご飯何にする?」
この一声で僕らは各々の行きたいところを思い浮かべる。
「ジャンケンポン」
最初は大体あいこだ。
何度もジャンケンを重ねるごとに、運命の神様が選び抜いた精鋭たちが残る。
「ジャンケンポン」
敗者たちは、勝者を見守りつつ、残る選択肢の最善に祈りを捧げる。
「ジャンケンポン」
一発で決まることはない。
人数が多かれ少なかれ、神様は楽しむために、あいこを選ぶ。
「ジャンケンポン」
今日のご飯が決まる。
嫌がる人もいれば喜ぶ人もいる。
みんなどこで食べるのかなんて関係ない。
そういう反応を起こしてみる。ただそれだけだ。
ただそれが楽しいのだ。
何が楽しいか正直わからない。ご飯を決めているだけなのだが、この瞬間が一番好きだ。
ご飯屋さんへ到着すると、何を食べるのかまた迷い始める。
人間は迷うことが仕事なのだろう。
ハンバーグがいいか、チーズが乗っている方がいいか、各々の考えが交錯する。
人と同じものを選ぶものもいれば、違うものもいる。
友達の食べ物をみて、それも食べたかった。と思う時もあれば、絶対にそれは頼まないと思う時もある。
あえて口に出さないが、誰しもがそう思っている。
しかし、美味しかったから楽しい。不味かったからつまらない。そんなエゴイズムを持つ人は私の周りにいない。
味など関係ないのに、一応迷ってる振りをする。そういう生き物なのだろう。
ジャンケンの勝敗など関係ない。
また、何を食べるのかも関係ない。
そこにいる。誰かと食べる。何かをする。
それが僕の幸せだ。
今日はびっくりドンキーに行った。
きっと記憶の1ページには
「ハンバーグが美味しかった」ではなく、
「みんなとご飯楽しかった」と描かれることだろう…
嵐吹く三室(みむろ)の山のもみぢ葉は龍田(たつた)の川の錦なりけり
今日の詩
嵐吹く三室(みむろ)の山のもみぢ葉は龍田(たつた)の川の錦なりけり
現代語訳
山風が吹いている三室山(みむろやま)の紅葉(が吹き散らされて)で、竜田川の水面は錦のように絢爛たる美しさだ。
意味
【嵐吹く】
「嵐」は山から吹き下ろす強い風のこと。
【三室(みむろ)の山のもみぢ葉は】
大和国(現在の奈良県生駒郡斑鳩町)にあった神奈備山(かむなびやま)のこと。
【錦なりけり】
「なり」は断定の助動詞「なり」の連用形。
「けり」は詠嘆の助動詞「けり」の終止形で美しさにはじめて気づく感情を表す。
錦は五色の色糸を使って絢爛豪華な模様を描き出した織物。
紅葉はまだまだだが、暖かく柔らかな雰囲気を待ち遠しくも思う。
この詩は、紅葉が風に吹かれ、川に流れ行く様子を「錦」という言葉を使って、絢爛な美しさを表している。
赤、黄、茶に輝く美しい情景が目に浮かぶ。