あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

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今日の歌

謙徳公(45番)『拾遺集』恋五・950

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

 

現代語訳

私のことを哀れだと言ってくれそうな人は、他には誰も思い浮かばないまま、きっと私はむなしく死んでいくのに違いないのだなあ。

 

言葉

【あはれとも】

「あはれ」というのは、かわいそう、気の毒だという意味の感動詞

「とも」の「も」は強調の係助詞

 

【いうべき人は】

「べき」は当然の意味の助動詞「べし」の連体形

「人」は最愛の人のこと

いってくれそうな最愛の人はとなる。

 

【思ほえで】

「思ほえ」は下二段活用動詞「思ほゆ」の未然形

思い浮かぶという意味

「で」は打ち消しの接続詞

思い浮かばずというようになる。

 

【身のいたづらに】

「いたづら」ははかないや無駄なという意味

つまり死ぬということ。

 

【なりぬべきかな】

「ぬ」は完了の助動詞、「べき」は推量の助動詞べしの連体形、「ぬべし」で強調の意味。

なってしまうだろうなぁという意味

 

これの歌の作者は男。

あなたをずっと愛しく思う。あなたに恋いこがれ続けても、そんな私のことを哀れだと言ってくれそうな女性は他に誰も見あたらないまま、むなしく無駄に死んでいくのだろうか。

昔は男性の方が強い時代。そんな中この歌はとても女々しい歌である。