ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明(ありあけ)の月ぞ残れる

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今日の歌

後徳大寺左大臣(81番)『千載集』夏・161

ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明(ありあけ)の月ぞ残れる

 

 

現代語訳

ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。

 

 

言葉

【ほととぎす】
初夏を代表する事物としてよく歌に採り上げられます。日本には夏に飛来するため、夏の訪れを知らせる鳥として平安時代には愛され初音(はつね=季節に初めて鳴く声)を聴くことがブームだった。

 

【鳴きつる方】
「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形で、「鳴いた方角」という意味。

「つ」は意識的にした動作、自分がしようと思ってした動作を表す動詞に繋がる。

「ぬ」は自然な無意識の動作を表す動詞に繋がる場合がほとんどだ。

 

【眺むれば】
「見てみれば」という意味。

動詞「ながむ」の已然形に接続助詞「ば」がつき、順接の確定条件となる。

 

【ただ有明の月ぞ残れる】
「ただ」は残れるを修飾する副詞で、「有明けの月」は夜が明ける頃になっても空に残って輝いている月のこと。

「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、強意の係助詞「ぞ」の結びとなる。

全体で「その方向にはただ夜明け前の月がぽっかり浮かんでいるだけだった」という意味になる。

 

 

鑑賞

ホトトギスは夏の訪れを知らせる鳥として有名だった。

平安時代の人たちはなんとかホトトギスの初音を聞こうと夜明けまで待つことも多々あった。そう言ったことを背景に聞くとわかりやすいだろう。

今か今かと待っているうちにホトトギスのような音が聞こえたので振り返ってみたのである。

しかしそこには、朝方の淡く輝く月だけ。

季節の情景とともにホトトギスの鳴き声を待ちわびる人々の風情が浮かび上がる。